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不況克服と戦時統制 昭和年代1926~1951年

第13世、商品在庫にメス 1927年~

第1次大戦後の不況を克服するため、1927年(昭和2年)、銀行に勤務していた後継者の第13世眞治を専務として呼び戻しました。新任の専務は過大な商品在庫にメスを入れるなど企業の合理化を断行、これが功を奏して業績は急速に回復しました。

第13世 與吉郎眞治

第13世 與吉郎眞治

新天地を求めて大陸へ 1941年~

この矢先、1931年(昭和6年)9月に満洲事変、1937年(昭和12年)に日華事変が勃発し、引き続き1941年(昭和16年)12月、太平洋戦争に突入しました。

 このため、染料界も統制下に置かれることになり1941年(昭和16年)1月、国策会社である日本合成染料株式会社が設立され、当社も同社の傘下に包含されました。国内での販売が自由にできなくなった当社はそれまでに開設していた旧満洲国の出張所を足がかりに、新天地を求めて事業を大陸へ移していきました。

社名を三木産業株式会社に変更 1943年~

一方、国内においても新しく子会社を設立するなど戦時下の窮状打開に努力を続け、1943年(昭和18年)8月16日付けをもって商号を現在の三木産業株式会社に改め将来への飛躍に備えました。

順調に進んだ戦後復興 1945年~

国全体が大きな犠牲を払った大平洋戦争は、1945年(昭和20年)8月15日、終戦を迎えました。この戦争によって三木家とともに当社の蒙った損害は270年の歴史の中で最大なものでした。
荒廃と混乱の中から会社再興に向けて立ち上がった第13世眞治は、来る日も来る日も先祖の仏前に端座して想を練ったと伝えられています。必要な再興資金が順調に手当てされるや全社員も奮い立ち一丸となって復興へ躍動をはじめました。

 「このとき、社員は本当によく働いてくれた」との第13世眞治の述懐を裏づけるように、翌年度(昭和21年度)には早くも利益を計上し、その後も期を追って業績を伸ばしていきました。

農地の喪失とビルの建築

戦後三木家は先祖から伝わった農地の大部分を失ってしまいました。そこで、これに代わるものとして貸ビルの建設を計画し、戦後30年間に東京2棟、大阪1棟、徳島1棟の合わせて4棟のビル建設を実現いたしました。

大阪支店

大阪支店

社長三代60年を国政に

わが国にはじめて議会制度が開設され、第一回帝国議会の開院式が行われた1890年(明治23年)11月、第11世與吉郎は、貴族院議員としてこれに臨みました。
以来、当社の社長は三代にわたって国政に参画いたしました。

第11世 與吉郎順治
貴族院議員14年 4ヶ月 (明治23年6月~同37年9月)
第12世 與吉郎康治
衆議院議員 1年11ヶ月 (大正4年3月~同6年1月)
貴族院議員19年10ヶ月 (大正7年9月~昭和13年6月)
合計 21年 9ヶ月
第13世 與吉郎眞治
衆議院議員 3年 9ヶ月 (昭和17年4月~同20年12月)
参議院議員18年 4ヶ月 (昭和28年4月~昭和46年7月)
合計 22年 1ヶ月
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