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印度藍 人造藍への転換 明治時代1868年~1912年

第11世、併売に踏み切る 1897年~

明治時代に入り、長い間全盛を誇った阿波藍は幕末直後から日本に流入しはじめた良質で低廉な印度藍におされ、次第に衰退の道を辿りはじめました。

  ことに、1887年(明治20年)頃からその印度藍の輸入量が著しく増加して阿波商人たちに大変な衝撃を与えました。このため、阿波藍だけを売るべきだとする守旧派(2,333人)と印度藍も売ってもよいとする併売派(1,059人)が対立し、こうした中にあって、貴族院議員であった第11世順治は時代の流れを敏感に察知して1897年(明治30年)併売に踏み切りました。

第11世 與吉郎順治

第11世 與吉郎順治

人造藍の関東販売権を握る 1904年~

印度藍に続いて阿波藍をますます衰退に追い込んだのは人造藍でありました。1902年(明治35年)、ドイツの馬獅子(バディシ)アニリン・ソーダ製造会社の製品に続いてヘキスト染料製造会社の製品が輪入されるに至って、ますます熾烈な販売戦が展開されるようになりました。

  当社はいち早くヘキスト社の関東地域における一手販売権を獲得し、1904年(明治37年)、業界に先駆けて人造藍の販売を開始しました。

 当社は、この販売戦に勝ち抜くため、東京だけにとどまらず関西にも攻勢をかけることにし、1905年(明治38年)、関西地区の拠点として大阪市西区南堀江に大阪支店を設置しました。

「ヘキスト」純藍販売組合契約證書

「ヘキスト」純藍販売組合
契約證書

乱売戦に終止符 第12世大同藍株式会社の代表に 1909年~

しかし、このような乱売戦に疲れた業界は、特約店間で合同への気運が台頭し、1909 年(明治42年)12月、藍商人が一丸となって大同藍株式会社を創設しました。

  三木家はこれまでの功績により、第12世康治が同社の代表に就任、以来留任を重ね、 1932年(昭和7年)7月、任務を終えて会社が解散されるまで25年の長きにわたり同社を主宰し、人造藍業界に多くの足跡を残しました。

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